みなさん、こんにちは。今回は、哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーの名言集をお届けします。
ショーペンハウアーは19世紀のドイツの哲学者であり、その深い洞察と独自の視点で知られていて、ワーグナー、ニーチェ、トルストイ、カミュ、トーマス・マンらにその強い影響を与えました。
彼の言葉は、他者との関わり方や、自分自身との向き合い方に新たな視点を提供します。
その名言は、幸福、喜び、苦悩、孤独等、人生の意味を考える手助けとなることでしょう。
ショーペンハウアー名言集~人間とは・節理
才人は、誰も射ることのできない的を射る。天才は、誰にも見えない的を射る。
誰もが自分自身の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。
男同士は本来、互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である。
意志から知性を引いたものが低俗である
医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものと見る
我々は他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の4分の3を喪失してしまう
人は、その生涯の最初の四十年間において本文を著述し、続く三十年間において、これに対する注釈を加えていく
賢者はいつも同じことを言い、大多数を占める愚者はいつも反対のことをする
頑固さは、知性の代わりに意志を押し付けた結果である。
虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は沈黙する
強い人間は自分の運命を嘆かない。
謙譲というものは、平凡な能力を持つ人間の場合には単なる誠実であるが、偉大な才能のある人間の場合には偽善である
人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、金を貸すことによってたやすく友を失う
人の顔は、原則として口よりも多くのことを、そしてもっと興味深いことを語るものである。
人間は孤独であるかぎり、彼自身であり得る。
私達は持っていない物について、常に思いを張り巡らせるが、一度手に入れると興味を失う
人は、求めることを思いつかないものを、欲しいと感じることはない。
人は望むことができるが、望むことを望むことはできない。
ある人の顔がわれわれに完全な印象を与えるのは、最初の出会いのときだけである。
些細なこと、そして油断しているときにこそ、人間は自分の性格を明らかにする
人はなんでも忘れることができるが、自分自身だけは、自分の本質だけは忘れることはできない。
孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間になってしまう。なぜなら、孤独でいるときにのみ、人間は自由になれるのだから
普遍的な真理に対して人がいかに無関心でも、個別的な真理に対しては実に執着が強い。
なんびとにもせよ、まったく突如として、人は生きているのである
殉教は、人が能力なしに有名になる唯一の方法である。
金銭は、人間の抽象的な幸福です。だから、もはや具体的に幸福を享楽する能力のなくなった人は、その心を全部、金銭にかけるのです
ショーペンハウアー名言集~考え方・信念
すべての人間は、他人の中に鏡を持っている
結婚とは、男の権利を半分にして、義務を二倍にすることである。
孤独は優れた精神の持ち主の運命である
宗教はホタルようなもので、光るためには暗闇を必要とする。
名誉は、外に現れた良心であり、良心は、内に潜む名誉である。
どんなに大きな図書館も乱雑であれば、小さくても整理された図書館の方が役に立つ。同様に、膨大な知識を蓄積しても、自分で考えなければ、はるかに少ない知識よりも価値が低くなる。
永遠は一瞬の中にある
苦痛を避けるために快楽を犠牲にするのは、明らかに得策である。
知は力なり – とんでもない。きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力を持っていない人もあるし、逆になけなしの知識しかなくても最高の威力をふう人もある。
幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる
行動においては、偉大な心が最大の資格である。仕事においては、偉大な頭脳が必要である。
思いやりは道徳の基礎である
卑しい人たちは、偉人の欠点や愚行に非常な喜びを感じる
名誉とは、その人が特別ではないということであり、名声とは、その人が特別だということである。名声とは勝ち得なければならないものであり、名誉とは失ってはならないものである。
時は、よく用いる者には親切である。
自然や偶然による苦しみは、他人の恣意的な意志によって与えられる苦しみほど辛いものには思えない
人の名声が長続きしそうであればあるほど、その名声の到来にも時間がかかる
人を誤りから解放することは、与えることであり、奪うことではない。
人間の幸せの二つの敵は苦痛と退屈である
人間の社交本能も、その根本は何も直接的な本能ではない。つまり、社交を愛するからではなく、孤独が恐ろしいからである
人間は、自分の頭脳や心を養うためよりも何千倍も多く、富を得るために心を使っている。しかし、私達の幸福の為に役立つものは、疑いもなく人間が外に持っているものよりも、内に持っているものなのだ
人間は用心によって、災害を損失から、寛容によって闘争と喧嘩から保護されるであろう。
憎しみは心の問題であり、軽蔑は頭の問題である。
大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。
通常、人の顔は口よりも多く、より興味深いことを言います。なぜならそれはこの人のすべての思考と願望のモノグラムであり、口が言うことすべての要約だからです。
モノグラムとは2つ以上の文字やその他の記号を重ね合わせたり、組み合わせたりして、1つの記号を形成した文様のことである。
天才は平均的な知性よりは、むしろ狂気に近い。
目覚めと起床はすべて小さな誕生であり、新鮮な朝はすべて小さな青春であり、休息と眠りにつくことはすべて小さな死である。
普通の人々は時間をつぶすことに心を用い、才能ある人間は時を利用することに心を用いる。
人生の幸福にとっては、我々のあり方、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである。
退屈は魅惑の裏返しである。どちらも、ある状況の内側ではなく外側にいることに依存し、一方が他方を導く。
満足は苦痛からの解放にあり、それは人生の積極的な要素である。
無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。
礼儀正しさは、人間の本性にとっては、蝋に対する温かさのようなものだ。
あらゆる所有物や幸福は、不確かな時間のために偶然に貸与されたものにすぎない。したがって次の時間には返却される可能性があります。
思考の領域では、不条理と倒錯が世界の支配者であり続け、その支配が一時的に中断されるだけである。
人々は閑暇を犠牲にして富裕を得る。だが、富裕は自由な閑暇があってこそはじめて望ましいものとなる。富裕のために自由な閑暇を犠牲にしなければならないならば、私にとって富裕が何になるだろうか。
人間の嫉妬は彼らがみずからいかに不幸に感じているかを告げるもので、彼らが他人の行為に絶えず注目しているのは、彼らがみずからが退屈しているこを示すものだ。
知性のない人間であればあるほど、その存在は神秘的でなくなる。
変化だけが永遠であり、永久であり、不滅である。
紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
自然は知能の成長とともに痛みへの増加する能力を示しており、苦しみが最高潮に達するのは最高度の知性でのみである。
名誉は勝ち取るものではなく、失われてはならないものである。
ショーペンハウアー名言集~人生・生き方
偉大な人々は鷲のようで、高い孤独な場所に巣を築く。
運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する
あきらめを十分に用意することが、人生の旅支度をする際に何よりも重要だ
荷物をたくさん積んでいない船は不安定でうまく進めない。同じように人生も、心配や苦痛、苦労を背負っている方がうまく進めるものである
知性のない人間であればあるほど、その存在は神秘的でなくなる。
どのような運が降りかかろうと、喜びに浮かれることのないように、悲しみに暮れることのないように、万物は流転し、そして運もまた、いつ変わるとも知れないのだから
笑うことが多い人は幸福であり、泣く事が多い人は不幸になる
他人の欠点や愚行を自分から探すような人は、間違いなく不幸になる
もし私たちが皆、自分自身に興味を持たなかったら、人生は非常に退屈で、誰もがそれに耐えることができないほどつまらないものになるでしょう。
われわれのすべての災禍は、我々がひとりきりではいられないことに由来する
われわれの知識や学問の根底にあるのは不可解なものである。
愛国心は、学問の領域で自らを感じさせたいときには、投げ出すべき不快な存在である。
友達や知人は幸運への確実なパスポートである。
人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない
孤独に生きることは、すべての偉大な魂の宿命である。
死後、あなたは生前のあなたに戻るだろう
人生は楽しむために与えられたのではなく、乗り越えるために与えられたことは疑いの余地がない。
生きていくために最も大切なのが健康であり、次いで、生活を支える手段、つまり安心して使える収入である。これに引きかえ、名誉、栄光、位階、名声などは、これらの本質的財産と競争できない。
我々は朝を生の本質と見、これを神聖に扱わなくてはならない
別れは死を予感させ、再会は復活を予感させる
ショーペンハウアー名言集~社会・学習・教育
富は海水のようなものだ。飲めば飲むほどに渇きをおぼえる。名声についても同じである
ジャーナリストは犬のようなもので、何かが動くと吠え始める。
すべての真実は3つの段階を経る。第一に、嘲笑される。第二に、激しく反対される。第三に、自明のこととして受け入れられる。
私たちの悲しみのほとんどは、他人との関係から生じている。
能力の乏しい人々にとっては、謙遜は単なる正直でしかない。しかし、偉大な才能を持つ人々にとっては、それは偽善である。
学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人である
蒙を啓く(もうをひらく)とは。意味や使い方、類語をわかりやすく解説。《「啓蒙 (けいもう) 」を訓読したもの》道理にくらい者や知識に乏しい者を教え導く。
信仰は愛のようなもので、強制することはできない
人生の情景は、粗いモザイク画に似ている。この絵を美しく見るためには、それから遠く離れている必要がある。間近にいては、それは何の印象も与えない。
新聞は歴史の秒針である。しかしこの秒針は、金属が粗悪であるだけでなく、まともに動くことはめったにない。
真実と生命を持っているのは、その人自身の根本的な考えだけである。なぜなら、その人が本当に完全に理解しているのは、これらのことだからである。他人の考えを読むことは、他人の食事の残りを取るようなものであり、他人の捨てられた服を着るようなものである。
人の言葉は、あらゆる物質の中で最も耐久性がある。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は、他人の思想の運動場にすぎない
熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものになる。食べ物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである
世間普通の人たちは、難しい問題の解決にあたって、熱意と性急のあまり、権威ある言葉を引用したがる。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことである。
礼節とは、道徳的にまた知的に貧弱な互いの性質を互いに無視し合いながら、非難しまいという暗黙のうちの協定である。
読書で生涯を過ごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである
錬金術師たちは金を探すうちに、もっと価値のあるものをたくさん発見した。
芸術作品を王子様のように扱いなさい。最初にそれがあなたに語りかけるのを許しなさい。
一時間の読書で癒されない悩みを私は知らない
音楽とは、世界がその歌詞であるような旋律である
脳は生体に寄生する一種の寄生虫であり、いわば肉体に寄生する年金生活者とみなすことができる。
本を買うことは、本を読む時間を買うことでもある。
最大の愚行は健康を他のどんな幸福のためにも犠牲にすることだ。
読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
ショーペンハウアーの人生
ショーペンハウアーの哲学の特徴
アーサー・ショーペンハウアーの哲学は、様々な要素から成り立っていますが、端的に表現すると以下のような特徴が挙げられます:
ペシミズムと否定的な視点
ショーペンハウアーは人生に対して強いペシミズムを抱き、人間の欲望や苦悩が永遠に続くものであると考えました。彼は人生を苦悩と欲望の絶え間ないサイクルと見なし、この状態を否定的に捉えました。
意志の否定と解脱
ショーペンハウアーは、個々の存在や現象は根本的に「意志」と呼ばれる力によって生まれ出るものであり、この意志こそが無意味な苦悩や欲望を生み出す源であると考えました。したがって、彼の哲学はこの「意志」の否定を通じて解脱を追求するものとなります。
芸術の重要性
ショーペンハウアーは芸術を特に高く評価し、芸術を通じて人々が意志から解放され、究極の美や真実に触れることができると信じました。芸術が人生においての逃避や解脱の手段となるとともに、真実に近づける唯一の手段であると考えました。
孤独と個別性
ショーペンハウアーは孤独を避けず、むしろ孤独が個別性を保つ上で重要であると主張しました。個々の人間は孤独によって本質的な存在となり、他者とのつながりによる干渉から解放されると考えました。
これらの要素が組み合わさり、ショーペンハウアーの哲学は人生の苦悩への深い理解と、それに対する解脱への模索を中心に据えています。
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